発掘調査(暫定)報告

2006年8月 24日

旧日本陸軍浅茅野飛行場建設工事犠牲者遺骨発掘実行委員会

発掘調査概要

 本発掘調査は、「2006年旧日本陸軍浅茅野飛行場建設強制労働犠牲者遺骨発掘調査」と称し、北海道宗谷郡猿払村浅茅野の旧共同墓地(成田の沢)において、 2006年8月 18日から 24日午前まで、7日間に渡って実施された。
 発掘に参加した人員は、韓国からの90名を含む、地元ボランティアや国内外の参加者のべ 250名であった。

 本発掘調査に先立ち、2005年 10月に、発掘責任研究員である朴善周教授(パクソンジュ:韓国・忠北大形質人類学)及び北海道フォーラムメンバーの手により、同調査現場において完全な形の埋葬人骨が発掘された。
 この人骨は、埋葬状況、埋葬形態及び副葬品などから、朝鮮人労働者の遺骸である可能性が高いと判断されている。

 上記05年10月発掘が、本発掘調査を実施するに至った大きな要因であるが、この他にも、発掘現場には埋葬の可能性が高いと思われる箇所が少なくとも5箇所以上確認されていた。

 本発掘調査範囲は上記5箇所を含む35m×40mの範囲を5m×5mグリッド(通行路含む)45区画(ピット)と定めた。面積は 1,400平方mである。

テーブル奥に座る左から水口孝一共同代表、鄭炳浩共同代表、朴善周忠北大教授、安信元漢陽大教授、殿平善彦共同代表、宋基燦遺骨発掘チーフ


遺骨発掘状況

発掘された遺骨は、発掘範囲の10mX10m 範囲で集中的に発掘された。
 ピットNo.1、5、8、10、13の区画では、墓穴と思われる人為的な埋め戻しの跡が見られた。
 ここで、 不完全な火葬がなされた人骨1体が発見された。遺骨は左側肋骨が高温による変色を呈しており、下半身は足首に至るまで火葬されたと思われる白色の遺骨となって発見された。肩胛骨とその下の肋骨は高温による変色は認められなかった。
 このことから、遺骨は当時、薪などの燃料不足により、全身を火葬することが出来なかった遺骸であると推測することが出来る。
 なお、釘が一緒に出土したが、これは棺桶の一部ではなく、火葬の際に使用した薪に含まれていた釘(建物の廃材か)ではないかと思われる。
 また、一緒に出土した炭化した木材などを鑑定すれば、木材の出処などがある程度把握できると考えられる。

 ピット13では、遺物として「アサヒゴム」商標のある地下足袋が発見された。労働者と関係するものかは不明である。
 このほかにも、小銭、ボタン、衣服の一部と見られる布地、メガネの一部、ビール瓶や茶碗類などが発見された。

 ピットNo.23、24、30の区画では、火葬跡及び火葬骨の埋葬が確認された。
 これらの箇所では、火葬された骨片が無数に発見されたが、いずれも複数体の遺骨が混ざり合うかたちで発見されている。現在のところ、8体以上の個別の遺骨が含まれているものと確認されているが、最終的には、朴善周教授の鑑識によって結論が下される。

結論

 上記の結果及び地元の証言などから推定すると、火葬骨の多くは一旦土葬されたが、後に掘り起こされ火葬ののちに再び埋め戻されたものと思われる。

 現在までのところ、労働者の遺骨であると断定されるのは、このうちの4体に関してである。
 そのうち 1体は、前述の05年10月発掘遺骨である。この遺骨は、上半身が折れ曲がった状態(正座してうつ伏せになった状態)で、頭部から出土した。この個体の年齢は、 20代後半から 30代前半と推定される。

 また、不完全な火葬骨で出土した1体は、年齢40代から 50代と推定される。
 残り 2体は火葬されているが、性別の識別がかろうじて可能な状態にあり、いずれも男性と判明した。

 よって、上記を含む発掘遺骨の総数は、10体以上である。
10体以上とする根拠は、上記4体を除く火葬骨においても、性別判定は困難であるが、骨のパーツの重複から、個別にカウントすることが可能であり、細かな骨片を更に鑑識することで、その数は増えるであろうと推測されることによる。

 以上は、今回の短期間の発掘調査期間中に暫定的に下された結論であり、発掘チームの今後の鑑識及び新たな証言などによっては、出土遺骨の数に変化があることを留意されたい。
 しかしながら、明らかに現地住民の遺骸とは異なる埋葬状況にある遺骨が発見されたことから、当初の発掘目的は達成されたと考えるのが妥当である。(以上)


 ※遺骨発掘の結果については、今後とも情報が更新され次第、順次公表いたします。